専業主婦と社会性という言葉。この言葉に敏感になってしまうのは、専業主婦自身であるのではないでしょうか。
仕事をしていないことから社会から取り残されてる気分になります。そういう点から焦りとともに自分には社会性がなくなっていってるのではないかと感じるようになると思います。
なぜ専業主婦が”社会性”という言葉に敏感になってしまうのか?
そもそも専業主婦という言葉と社会性という言葉を結びつけてしまうのでしょうか?やはり専業主婦であることに、どこか後ろめたさのようなものを感じているということではないでしょうか?なぜ後ろめたさを感じるのか?
働けない理由は人それぞれですが、専業主婦と呼ばれる人の中で多いのは、子育てがあるからというものが多いです。自発的に専業主婦になった方もいれば、育休がとれず仕方なくなる方もいると思います。
多くの専業主婦の人が、元々仕事をしていてその後、専業主婦になるというパターンが多いと思います。つまり、それまであったものがなくなった状態になっていると思います。あったものがなくなるという状態は、色んな思いを生む最大の要素になります。今の自分に虚しさを感じ、あの頃はあんなに輝いていたのにと考えたりしてしまうのです。なので、自分自身が取り残されているように感じたり、後ろめたさを感じるのです。
専業主婦は社会性がないのか?
では、専業主婦は本当に社会性がないのでしょうか?
あるとかないとかで区別はできないのではないでしょうか。どこかずるい感じの答えに聞こえるかもしれませんが、仮に専業主婦というグループにいる人が社会性がないと判断できるのであれば、その逆のグループにいる人が社会性があると判断できます。でも実際はそんなことはないですよね。
しかし、専業主婦という言葉に社会性がないという言葉が続いてしまうのは、専業主婦が収入を得ていない、自立していないからという要素が大きく働いているからではないでしょうか。つまりは、社会性がないということを言いたいのではなく、収入がなく自立していないといことを言ってるだけのことではないでしょうか。
収入がないということは紛れもない事実です。そのことをオブラートに包んだのか?はたまた悪意を持って言ってるのか?は不明ですが、言葉を置き換えてるだけなのです。そもそも横にいる専業主婦のことをいちいち”社会性がない”と言って攻撃する必要なんてないのです。専業主婦である本当の理由は誰にもわからないし、それをまわりが知る必要もないです。それを知る必要性があれば、その時は率直に聞けばいいだけです(聞くことが正解とは思いませんが)。
社会性という便利な言葉
社会性
1 集団を作って生活しようとする、人間の根本的性質。
2 他人との関係など、社会生活を重視する性格。また、社会生活を営む素質・能力。「社会性のない人」
3 広く社会に通じる性質。社会生活に関連する度合い。「社会性の強い文学」出典:デジタル大辞泉(小学館)
これを見ると、”社会性がない”というのは、その人自身の考える”社会”という括りから外れるといった感じでしょうか。要は、”社会”といものがどういうものかが人それぞれ違うというのがあります。学校で集団でいることがうまくできない子がいる時に、その子のことを社会性がないというのか?会社に入ったもののうまくコミュニケーションが取れないことを社会性がないというのか?これって、集団に馴染むことが善で、そうでないことを悪と考えてる人の一つの意見だと思います。
それだけ”社会性”という言葉にインパクトがあり、そうでないことを恐れてしまうような言葉であるということなのです。
普通という括りの中にいて安心感を得たい者が、普通でないと思われる少数派を置いて自分自身の安定を図りたいだけとも取れるのではないでしょうか。
専業主婦と社会性は別問題
専業主婦と社会性がないということはリンクできないのではないでしょうか。そもそもリンクする必要がないのです。結局はその人だけの問題。その人がどう行動するか、それだけの問題なのです。今の時代、専業主婦と言いつつも家でちょっとした稼ぎを生み出している人はたくさんいます。その人なりのできる範囲での行動をしている人もたくさんいます。育児にひと段落する頃を見据えて保育士の資格を取ったり、語学の勉強をしたり、クラウドワークスで自宅で稼ぐ人もいます。
その人がどうであるかをわざわざ周りが意識することは時代に合ってないし、本人が意識することも時代に合っていないです。専業主婦であろうが、仕事専業の父親であろうが、どんな人であろうが、人間に平等に与えられた時間をどのように生きているか、目的意識を持って生きているか、自分自身が納得しているかだけの問題です。